対話主事通信「いろとりどり」2024年2月号
2024年、新たな大河ドラマは「光る君へ」。「光源氏」が主人公の世界最古の長編小説「源氏物語」の作者「紫式部」がこのドラマの主人公です。ドラマ紹介には「躍動せよ!平安の女たち、男たち!創造と想像の翼をはためかせた女性 紫式部」とあります。そこで今回は、紫式部と平安貴族の暮らしについて調べてみました。
紫式部とは
平安中期、10世紀後半から11世紀初めごろの歌人であり作家。かの有名な歌「この世をば 我が世とぞ思う 望月の かけたることも なしと思えば」を詠んだ藤原道長と同時代を生きた人です。藤原道長は娘を次々と天皇に嫁がせて摂関政治の黄金時代を築き上げた一方、漢詩や和歌への造詣も深く、文化人としての側面も持ち合わせています。華やかな王朝文化が花開いたのも道長の功績が大きかったと言われています。
紫式部は、漢学や和歌に秀でた文人の家系でしたが、中級貴族で一家の暮らしぶりは豊かではなかったようです。文学への素質は幼いころから際立っていて、弟への講義を横で聞くだけで漢学も和歌も覚えてしまうほどだったと言われています。結婚して一女をもうけた2年後に夫と死別、そのころから「源氏物語」を書き始めました。
やがて、紫式部の知性と教養を認めていた藤原道長に誘われて、道長の娘の家庭教師を兼ねた女官として宮廷に上がり、宮仕えをするようになります。道長の庇護を受けながらも、女性官吏としてキャリアを重ね、女流歌人としての才覚も発揮していきました。「源氏物語」はずっと書き続け、天皇、貴族、宮廷全体を魅了する物語になっていきました。
貴族の一日
午前3時ごろ起床。まず暦を見て今日の運勢を確認。縁起の良い方角・悪い方角・風呂に入るべき日・やってはいけないことなどを確認。勤め先の方角が凶だった場合には、出勤しなくてOK。忌日であれば一日中家にこもる。運勢の確認が終わると、昨日の出来事を中心に日記を書き、簡単なおかゆのようなものを食べ、6時ごろお役所である宮廷(御所)に出勤。事務仕事や天体のチェックなど職場で4時間ほど仕事をして昼前に帰宅。午前中にすべての仕事は終了し、昼から寝るまでの時間は自由に過ごして構わないというのが平均的な貴族の生活でした。
貴族のフリータイム
漢詩を学んだり、和歌を詠んだり、月見をしたり、蹴鞠や小弓やコマで体を動かしたり…。貴族が官僚となって世を治める平安社会でいかに成り上がっていくか。そこでは教養や社交性が大切なビジネススキルでした。一見遊んでいるように見えて実は自分磨きをしていたわけです。読み書きや音楽などの教養は女性にも求められました。知性や教養にあふれた紫式部が女官として宮廷に出仕したことにもつながりますね。
貴族の風呂・トイレ
「縁起が悪い日に入浴をすると毛穴に邪気が入る」と考えていた貴族たちは入浴自体を好まず、入っても月に数回。湯気で身体を温めるだけの蒸し風呂なので汚れは十分には落ちず、体臭がきつかったようです。お香はその匂い対策としてたかれました。トイレは、樋箱という木製の箱に用を足し、仕えの者がそれを川に流して処分。女性の黒髪は米のとぎ汁で月数回拭く程度。部屋中に漂ういろいろな臭いを隠すためにお香は必要不可欠だったわけです。現代の衛生的な生活とはずいぶん違う生活ですね。
貴族の身だしなみ
眉をそり落として額に書き、顔を真っ白に塗る男女共通のあのメイクは、どうも当時の家の暗さに理由があったようです。建物に窓ガラスはなく板戸だったので、昼でも薄暗いのが普通。人の顔もよく見えないので、貴族たちは顔を白く塗って暗闇に浮かび上がらせ、上役に顔を覚えてもらって出世につなげようと必死だったとか。白粉を塗るのに邪魔な眉は剃ってしまい、額に点を描いて代用するようになったようです。
女性の十二単は実際は5~7枚ぐらい。季節に応じて着物の数を調整。重ねる色合いに着る女性のセンスが問われたとか。男性が成人すると身分に関係なく被る黒い山型の烏帽子。当時の男性にとって頭に結っているまげを他人に見られるのはとても恥ずかしいことで、寝る時も入浴する時も着用していたとか。貴族といえども女性も男性も決して楽ではなかったのですね。
大河ドラマで平安時代が舞台になるのは珍しいことです。当時の暮らしぶりがどう描かれるのか、今とどれほど違うのか、共通するところもあるのか、そんな見方をしてみるのも面白いかもしれません。
全家研ポピー浜松支部 教育対話主事 鈴木育代
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