対話主事通信「いろとりどり」2023.1月号
「鎌倉殿」から「家康公」へ、1月から新たな大河ドラマがスタートします。
「出世大名家康くん」がイメージキャラクターになっている浜松市。「静岡まつり~駿府大御所時代絵巻~」が行われている静岡市。徳川家康公とはかかわりの深い静岡県民のひとりとして、とても楽しみにしています。そこで、まず、静岡県との関係を中心に家康公の生涯をざっくりおさらいしておこうと思います。
幼年期 1542年三河の大名松平広忠の嫡男として岡崎城に生まれる。6歳の時、今川家の人質として送られるはずが織田家に奪われ織田家の人質になる。その後人質交換であらためて駿河の国を治める今川家の人質に。桶狭間の戦いで今川義元が亡くなる19歳までの約10年間、人質生活を送っていた。
青年期 独立して駿府から生地である岡崎城に戻り、29歳で浜松城に居城を移した。浜松で過ごした29歳から45歳までの17年間は、闘いと苦悩の絶えない試練の時代だった。特に、31歳の時の三方ヶ原の合戦では武田信玄率いる武田軍に大敗、1000人以上の家臣を失い、自身も命からがら浜松城に戻るなど人生最大の負け戦を経験した。
壮年期 49歳の時、豊臣秀吉によって関東に移封され江戸城に居城を移す。57歳の時に関ヶ原の戦いで勝利。62歳で征夷大将軍に任命され、その後260年以上続くことになる江戸幕府を開いた。64歳で将軍の座を秀忠に譲り、駿府を自身の拠点に定め駿府城を居城として整備した。
晩年 1616年75歳で亡くなるまでの約10年間を駿府で生活。家康率いる「大御所政権」が江戸幕府の補助的機関として大きな影響力をもち、駿府城下町も政治・外交の中枢都市として栄えた。
(年代、年齢については、「浜松・浜名湖ツーリズムビューロー 徳川家康ゆかりの地 出世の街浜松」を参考にしました。)
さて、「織田がつき 羽柴(豊臣)がこねし 天下餅 座りしままに 食うは徳川」…これは江戸時代後半に作られた狂歌です。信長が始めた天下統一という大事業を秀吉が引き継いで完成させたのに、何もしていない家康が我がものにした…といった意味でしょうか。
「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」とも表現されたように、家康は辛抱強く慎重な性格だったと言われていますが、天下が自分の懐に飛び込んでくるまで、ひたすらじっと待っていたのでしょうか。
今回の大河ドラマのタイトルは「どうする家康」です。なんとも大河ドラマらしくないタイトルだなあと感じます。でも、シェイクスピアも「ハムレット」の中で「人生は選択の連続である」と言っています。確かに、私たちの生活も朝「今起きるか、もう少し寝ているか」から始まって、一瞬一瞬がどちらかを選ぶ選択の連続なのかもしれません。
ドラマのあらすじの中にこんなことが書かれています。「家康は、ピンチが来るたびに『どうする?』と選択が突きつけられます。家族や家臣、戦場、民たちからいろんな『どうする?』が問われ、失敗しながらも決してあきらめず『どうする?』に向き合います。」
私が歴史に興味をもち始めたきっかけのひとつである大河ドラマ。松本潤さん演じる徳川家康が、何をどこでどんなふうに悩んでどう決断するのか、その生きざまをじっくり見守っていきたいと思います。
全家研ポピー浜松支部 教育対話主事 鈴木育代
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